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5代目伊藤小左衛門(ごだいめいとう こざえもん、1819年1月13日(文政元年12月8日) - 1878年(明治12年)5月21日)は、三重県四日市市の企業家。幕末期から明治時代初期にかけて四日市地域に近代産業を浸透させて、工業都市四日市市の基礎を作り、貿易を重視して産業の近代化を推進した〔大樹育つ百年四日市市制100周年記念114頁〕。幼名は伊藤小四郎、伊藤小平治、諱は伊藤尚長である。六代目伊藤小左衛門は息子で伊藤家の後継者であった。 == 年譜 == *伊勢国三重郡室山村(現・三重県四日市市四郷地区)で代々伊藤家が住んでいた。伊藤小左衛門の祖父の3世伊藤小左衛門が副業として創業した味噌の醸造業を伊藤家が経営していた〔四日市市制111周年記念出版本「四日市の礎111人のドラマとその横顔」6頁上段9行目-11行目〕。 *伊藤小左衛門は室山村(現在の三重県四日市市室山町)で代々農業を経営する豪農で伊藤家の長男だった。幕末の開国で生糸と茶の輸出が盛んになり、1861年(文久元年)に茶の輸出事業と桑苗を植え付け、養蚕業を行い巨大な利益を得る。さらに、翌年には手繰り製糸工場を建設して製糸産業の経営に乗り出した。、明治初期に伊藤製糸を起業した。富岡製糸場をモデルに生産していた。1874年(明治7年)に器械製糸所を開業した。長男の伊藤小十郎・長女の伊藤りき・伊藤小十郎の妻であるつうと共に富岡製糸所を訪問して、りきとつうを伝習生として、貿易用の生糸生産に向けて日夜試行錯誤した。 *1878年(明治11年)開催のフランスのパリ万博に伊藤小左衛門が製品を出品して、製糸場の器械の優秀者、技術の模倣と改良努力、水質の改善などにより銅鐸を得た。1901年(明治34年)に金賞を受賞した〔コトバンク 〕。この伊藤製糸は昭和恐慌と昭和金融恐慌の影響で経営難となり会社を解散した。数年後に亀山製糸と合併した。5代目伊藤小左衛門の親戚に十代目伊藤伝七がいて三重紡績を設立した。三重紡績は大阪紡績と対等合併して、東洋紡績株式会社となった。伊藤家は紡績業界の名門の家柄である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤小左衛門 (5代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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